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法泉寺所蔵
しゃか
釈迦涅槃図
ねはんず
絵解き解説
釈迦涅槃図は、仏教の開祖である釈迦が亡くなったときの様子を描いた絵画です。画面の中央には、右脇を下にして横たわる釈迦が描かれています。釈迦の死は、人々に大きな衝撃を与えました。その周りには、悲しみで泣き崩れる人や、呆然と立ち尽くす人など、さまざまな人々がいました。また、動物たちも釈迦の死を悼んでいます。
釈迦は、悟りを開いてから45年間、人々に教えを説き仏教を広めました。そして、80歳でクシナガラ(現在のインド・ウッタル・プラデーシュ州)で亡くなりました。涅槃とは、煩悩から解放された状態であり悟りの境地のことです。
釈迦涅槃図は、仏教の重要な行事である涅槃会(ねはんえ)において、釈迦の教えを偲ぶために用いられます。また、仏教の教えの根本となる「悟り」と「涅槃」を象徴する絵画としても多くの人々に親しまれています。
当寺所蔵の大涅槃図は伊木信西法師の筆によるものです。
涅槃図(ねはんず)に描かれた主要な万物をピックアップ解説
▼番号をクリックすると詳細がご覧になれます。
仏教の開祖
しゃかにょらい
①釈迦如来
(又は お釈迦さま)
35歳で悟りを開き45年間インド各地を行脚して仏法を説き広められる。 80歳になり生まれ故郷へ向かう途中、純陀が布施として差し上げた茸に中毒され体調を崩し、 クシナガラの跋提河(ばつだいが)のほとり、沙羅双樹のもとで入滅した。35歳で悟りを開き45年間インド各地を行脚して仏法を説き広められる。 80歳になり生まれ故郷へ向かう途中、純陀が布施として差し上げた茸に中毒され体調を崩し、 クシナガラの跋提河(ばつだいが)のほとり、沙羅双樹のもとで入滅した。
摩耶夫人の先導役
あなりつそんじゃ
②阿那律尊者
出家された頃に仏前で居眠りし、お釈迦さまの叱責を受けて不眠の誓いを立てる。そのため失明したが、その代わりに一切を見通す智慧(ちえ)の眼(天眼)を得たという。「天眼第一」の異名をもつ。
お釈迦さまの生母
まやぶにん
③摩耶夫人
お釈迦さまを出産して7日後に亡くなり、天界(忉利天とうりてん)で転生した。入滅の知らせを受け、お釈迦さまに不老薬を与え、もっと長く多くの人に教えを説いてほしいと忉利天から駆けつけて来ようとしておられるところ。
摩耶夫人が投げた不老薬
くすりぶくろ
④薬袋
摩耶夫人がお釈迦さまのために投じた不老薬の入った袋。「投薬」という言葉はこの故事が元になったとも言われる。この薬は摩耶夫人の願いもむなしく、お釈迦さまに届く前に木に引っかかってしまった。
お釈迦さまの周りを囲む8本の木
さらそうじゅ
⑤娑羅双樹
右側の4本はお釈迦さまの肉体が滅びることを白く枯れる様で表し、左側の4本は青々と葉を広げ花を咲かせて、お釈迦さまの教えがこの先も栄えることを表わしている。
お釈迦さまに触れる老女
ろうじょ
⑥老女
老女が若かりし娘のころ、お釈迦さまの教えを聞こうと町を訪ねまわったが、巡り会えた時には100歳の老女になり、お釈迦さまはすでに入滅されていた。45年間の布教の旅を歩き続けた御足を一心に擦り、感謝と労りと悲しみの涙を流している。
善光寺如来を鋳造
つきがいちょうじゃ
⑦月蓋長者
(又は がっかいちょうじゃ)
古代インドの大富豪。悪疫が流行し、娘・如是姫が病魔に冒された時、お釈迦さまに教えられ阿弥陀様に助けを求めて娘を助けていただいた。後に黄金の弥陀三尊像をつくりこれが善光寺のご本尊になったとされる。
最後の教えを聞く12歳の子
かしょうどうじ
⑧迦葉童子
(又は 迦葉童子菩薩)
お釈迦様が亡くなる前に説いた最後の教えを聞き、悟りを開く。涅槃経(ねはんきょう)をまとめ、仏法を後世に伝える。「仏法は12歳の子の素直さで求めよ」との教えを示すため、涅槃図では唯一人童子の姿。
お釈迦さまの侍者
あなんそんじゃ
⑨阿難尊者
色白の美男子で、お釈迦さまの侍者を25年間務めた十大弟子の一人。師を失い昏倒、介抱されている。最も多く教えを聞いた人物であることから「多聞第一」の異名をもつ。
お釈迦様に最後の供養をした人物
ちゅんだ
⑩純陀
(又は 純陀長者、じゅんだ)
お釈迦様は、最後に供養をした純陀が周りの者から毒を盛ったのではないかと責め立てられることを懸念され、阿難陀に「我が人生の中で最も重要な供養であり、偉大な尊者となるべき偉業を成し遂げたのだ。恨むものが現れたなら、よく諭すのです」と、お伝えされた。
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