法泉寺の歴史
About Housenji
法泉寺は、真田家ゆかりの城下町、信州松代町西条の地に1564年(永禄7年)清野山城守宗頼公が開基となり、節香徳忠大和尚が開山として創建されました。
1772年(安永元年)、火災により諸堂を焼失しましたが、2年後の1774年には本堂が再建されました。以後、大正年間に至るまでには本堂・庫裡・衆寮・経蔵・観音堂・鐘楼・隠寮・浴司等の諸堂伽藍が整備されました。
また、松代藩初代藩主真田信之公の重臣として、信之公逝去後、当寺にて殉死した鈴木右近(脱相空心居士)が中興の開基として奉られています。
その後200年以上の風雪に耐えてきた本堂の老朽化が著しく進み、先代23世の発願により1988年(昭和62年)には本堂の再々建、観音堂の再建、庫裡の改修がなされ、現在に至っています。
境内裏庭の斜面には、大小50株ほどのツツジが植えられており、毎年5月中旬が見頃となります。また、秋の紅葉も美しく、古くから「日陰紅葉の法泉寺」「つつじのお寺」と呼ばれております。
山号 正眼山(しょうげんざん)
宗派 曹洞宗(そうとうしゅう)
本山 越前 永平寺
鶴見 総持寺
本尊 釈迦牟尼佛 拈華の像
開山 仏光円明禅師節香徳忠大和尚
開基 二代清野山城守 刑部左ヱ門宗頼公
初代は、村上義清の二男 勝照公
開創 永禄7年(1564年)
《法泉禅寺之景》明治32年に制作された銅版画
法泉寺の御開山さま
法泉寺の御開山は仏光円明禅師節香徳忠大和尚と申されます。文明6年(1475)長野県佐久市前山城主伴野佐渡守光利の子としてお生まれになり、13才の時ぶんぶく茶釜で有名な上州館林の茂林寺にて出家修行されました。
その後武州(埼玉県)に慶徳寺を建てられ、大永元年佐久の貞祥寺を建てられました。そして、佐久の雲興寺、更埴市の禅透院、渋の温泉寺、佐久の自成寺、木島の泉龍寺、そして当法泉寺をというように次々と開山となられました。法泉寺を開山された翌年の永禄8年(1564)には禅透院に帰られ、元亀元年(1570)2月15日、96才で遷化されました。